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黄祖撃破とか、それぐらいの頃。
(戦勝の宴。いつかのデジャブのように、兵士も将もお酒入っちゃってもーテンション上がりまくりで大フィーバー、なたけなわ状態。酒とおいしそうなご飯の匂いが満ち満ちている。一番盛り上がってるのはやっぱり孫権とその周辺。周瑜はまるで酔った様子もなく、白い貌のまま杯を弄んでいる。反対側の隣には呂蒙がかっちんこっちん、はないけど引きつった顔で座っている。仕方ないよね、酒乱の君主が傍にいるんだもんね。そんなことは微塵も気にせず、孫権が呂蒙の杯にどばどばと酒を注ぐ)
孫権:さあ飲めえ子明ぃ、遠慮するなあっ!
呂蒙:は、はいっ!
(云われるがまま、引きつった顔で飲む呂蒙。こんな宴は慣れたけど酒乱の君主の被害に巻き込まれたくもないしでもやっぱ逃げるに逃げられないから飲むしかないのかとかそんな考えにぐるぐるして、見るからにやばそう。向かいでは呂範がこの上なく愉しそうな顔で見ている。鬼!)
呂蒙:ぷはあっ。
孫権:おーう、なかなかいい飲みっぷりらなあ!らならなあ!(ばんばんと背中を叩く)
呂蒙:ぐはっ、と、殿、痛いですっ。
孫権:なんだあ、この程度で痛がっちゃあ、武将が務まらんぞお! お、子瑜う、お前も飲めええぇぇ……
(新たな犠牲者、もとい酌の相手を見つけたらしく、酔っ払い君主はふらふらと歩き去る。捕まった諸葛瑾を遠目で見て心の中で合掌。どっと卓上に崩れる呂蒙に、眼前に用意されていた料理に手をつけながら周瑜が笑う)
周瑜:嵐は過ぎ去ったようだな。
呂蒙:冷静に観察していないで、助けてくださいよう。俺もうどうなるかと。
周瑜:断る。酒豪で酒乱の君主ほど、宴での接近を避けるべき相手はいないからな。
呂蒙:俺を犠牲にして保身を図ったんですね。酷いです周郎、信じてたのに。鬼悪魔。
呂範:そうそう、上に立つ者が簡単に下を切り捨てるのは良くないな、うん。
呂蒙:何を偉そうに云ってるんですか、義兄上だって笑って見物してたくせに。
呂範:ちっちっ、だからお前はまだ尻が青いと云われるのだ。あれは笑って見物していたのではない。庇うのではなく敢えて世間の荒波に揉ませることで、愛する義弟の成長を促進しようとだな。
周瑜:『子明の顔色が脈拍ごとに変わるのが面白い』と笑っておられたのは何方でしたか。
呂範:私だが。
呂蒙:しれっと答えないで下さい、しれっと。もういいです、信じられるのは自分ただ一人だってことは、ずっと昔に教わりましたから。鬼上司と鬼義兄にはもう助けを求めません。
周瑜:いい心がけだ。次に殿に絡まれたときは助けてやろうかとも思ったが、いらぬ世話のようだな。
呂蒙:前言撤回します。どうか助けてください。
周瑜:零れた水が盆に戻らぬのと同じように、一度出た言葉も取り返しはきかぬものだぞ。
呂蒙:そこをなんとか、後生ですからあ。
(両手を合わせて必死に周瑜を拝む。周瑜も呂範もその様子を見て笑っている。白いかんばせには紅潮の兆しもなく、酔いはまるで見受けられない。拝んだ拍子に周瑜の杯の中身を見た呂蒙が目を丸くする)
呂蒙:あれ、周郎、これってもしかして水ですか?
周瑜:ああ、そうだが。
呂範:何、水だと? 折角の宴の席だというのに、何でまた。
呂蒙:最初の乾杯の時はお酒でしたよね。
周瑜:最近はすぐに酒が回ってしまってな。殿の前で醜態を晒すわけにはゆかぬだろう。
呂範:私が推察するに、醜態を晒して怖いのは、殿よりも程公だな。どうだ、違うか公瑾殿?
周瑜:相変わらず嫌な箇所を狙い澄まして突いてきますね、子衡殿は。
呂蒙:流石義兄上、伊達に年寄りやってるわけじゃありませんね。
呂範:そういうお前は年上を敬う可愛さがなくなったな。亀の甲より何とやらだ、悔しかったら真似してみせるがいい。
呂蒙:三十路を過ぎた大の男に可愛さを求めるのが間違いですし、別に悔しくも真似したくもありませんからいいです。
呂範:ああっ、子明が冷たい。昔はあんなに素直だったのに。夜に一人で更衣に行けなくてぴーぴー泣いていたお前は犯罪なみの可愛さだったのに。起きてやらなかったが。
周瑜:起きていないのに、どうして泣いていたことがわかるのですか。
呂範:公瑾殿、それは云ってはならないことだ。
呂蒙:それ以前に、義兄上と会った時はもう俺十三です。そんな歳卒業してます。話を捏造しないで下さい。
呂範:さて、論点を元に戻そう。
呂蒙:思いっきり逃げた臭いがぷんぷんしますね。
呂範:三十路を過ぎて大人になったんだろう、懐は広く大きく持て。で、何の話だったか。
呂蒙:周郎が怖がってるのは殿じゃなくて程公だって話ですよ。
周瑜:あまり大声で云うな、話題の人物に絡まれるぞ。
呂範:どちらに?
周瑜:両方にです。
呂範:それは御免だな。というか、本当にこの話だったのか?
呂蒙:あ、違うや。周郎がお酒を飲まなくなったっていう話でした。お体でも悪いんですか? ここ数年、周郎がお酒飲んでいるところなんてほとんど見てませんよ。
周瑜:それほど気にすることでもないと思うが。
呂範:いいや、それは大いに論ずべきことだ。なんといっても酒乱の公瑾殿が見れないのだからな。
周瑜:元より酒乱ではありませんよ。私ほど酒に呑まれない人畜無害な人間がいると思うか、なあ子明?
呂蒙:え、いや、あの、えっと。肉体的には暴れませんけど言語的に大乱闘というか何と云うか。
呂範:何年前だったか、酒の席で籤で嵌めて女装させたら、その後主犯の先君と共犯の子明と巻き込まれた私とを徹底的に罠にかけて、女装のまま城外走らせたよなあ。
周瑜:巻き込まれたのではなく共犯でしょう。誤った言葉で責任を軽減するのは褒められませんね。
呂範:そのような事実は記憶していないな。
周瑜:子明、そなたも気をつけろ。若い内に遊びすぎるとこのように耄碌するぞ。
呂蒙:俺と義兄上って七歳しか離れてないんですけど、気をつけます。俺はあの格好で全員に献酌させられました。伯符様は確か、廊下に出て最初に会った相手に悩殺求婚でしたよね。
呂範:あれは凄かった。よりにもよって当たったのが張公だったからなあ。先君も運がない。
周瑜:宴が終わるまでずっと正座させられていましたか、確か。あれほど情けない主君の姿は、そう拝めるものではありませんでしたね。
呂範:仕向けたのは自分だろうに。私は知っているぞ、張公を呼んだ兵士を遣わせたのは公瑾殿だとな。
呂蒙:え、そうだったんですか。じゃあ、あの惨事は確信犯。
周瑜:さて、私は知らぬが。
呂範:澄ました貌で嘯いちゃってまあ。
呂蒙:俺、周郎だけは絶対に敵に回しません。……って、また話がずれてるじゃないですか。もう何年も控えてらっしゃるみたいですけど、お体でも悪いんですか?
周瑜:大したことではないのだ。ただ、いかんせん疲れがたまっていてな。歳をとった、ということなのかもしれぬが。
呂範:年長者を前にして歳をいうかね。
呂蒙:あれ、義兄上は最近目が霞んできたってぼやいてませんでしたっけ。
周瑜:おや、そうなのか。時の流れとは残酷なものだ。
呂範:待て。公瑾殿が自分を老人扱いするのは一向に構わんが、私まで巻き添えにしないで貰おうか。
呂蒙:違うんですか?
呂範:違うとも。二人の目は節穴かい? この肌という肌、毛穴という毛穴から迸る若さが見えないとは。
呂蒙:若さとやらがどのような形でどのような色をしているのか教えて下さい。そうすれば見えるかもしれません。
周瑜:無駄だ、子明。若さとは有限のものだ。体中の毛穴から迸っているのなら、すぐに枯れ尽きる。
呂蒙:ああ、それもそうですよね。
呂範:時々二人を我ら孫呉が誇る水軍の船倉にでも放り込んで大歓迎したくなるんだが、どうしてだろうなあ。
(そこに片手に杯、片手に酒壷を持ち、甘寧が登場。酒が入ってかなり陽気になっているものの、足取りはしっかり)
甘寧:おう、三人方。景気はどうだい。
呂蒙:同じ軍中にいて景気もどうもないだろう、興覇。
呂範:いや、わからんぞ。我ら三人を足して合わせた以上に宴を謳歌しているようだ。それだけでも十分景気はいいな。
周瑜:何を根拠にそうおっしゃるのですか。
呂範:飲んだ酒の量。
甘寧:アンタらみてェに宴の席で飲んでねェ方がおかしいんだよ。
呂範:我々とて好きで飲んでいない訳ではないぞ。一人素面を通そうとする方に付き合っているのさ。
周瑜:私がお止めした覚えはありませんが。
呂範:ああ、好きで付き合っているからな。
呂蒙:結局好きでやってるんじゃないですか。
呂範:そう云った穿った見方は人間関係の円滑さに差し障るぞ。
甘寧:何だよ周郎、まさかアンタ、酒に弱いのか?
周瑜:そのまさかだ。意外か?
甘寧:意外も意外だよ。どう見たってアンタ、辛党の面じゃねェか。
周瑜:確かに甘いものは好まぬが、顔つきだけで判断できるものなのか。
甘寧:いや、独断と偏見だが。
呂蒙:辛党というより好き嫌いが多いんですよね、周郎は。
呂範:ほほう、そうなのか?
呂蒙:ええ。本当は食材の半数以上は嫌いですし、玉葱なんか目に見えないような破片を口に入れただけで口直ししますし。あれほど美味しいものもないと思うんですけどね。あ、ほら、今だって残してます。
(呂蒙の指差す先にあるのは、周瑜の前に並んだ皿二つ。片方の練り物は体積が減りつつあるが、もう片方、たまねぎ入りの炒め物はまったく手をつけていない)
甘寧:はは、マジかよ。
周瑜:子明、そなたがそれほど針の筵に座りたがっているとは知らなかった。明日の執務の時間を楽しみにしておけ、比喩ではなく本物を用意しておこう。
呂蒙:はう、ごめんなさい。
甘寧:こいつは面白いことを聞いたな。今度玉葱尽くしで持て成してやろうか、周郎。
周瑜:謹んで辞退する。代わりに子明でも持て成してやってくれ。
呂蒙:玉葱尽くしって、どんな料理を出すつもりなんだ。
甘寧:玉葱酒に始まって玉葱の丸焼きに玉葱蒸し、最後は玉葱甘味で締めくくりだ。
呂蒙:やっぱり断る。義兄上、どうぞ。
呂範:私は構わないが、その時は特上の酒と特上の女性と特上の肉料理も用意してくれ給えよ。肉が主菜で。
甘寧:それじゃあ普通の宴と変わらねェじゃねェか。ったく、付き合い悪ィな。
周瑜:付き合いの悪さではそなたも私と同類だろう。
甘寧:いーや、違うね。俺は堅っ苦しい席が嫌いなだけで、酒と飯と女のいるところには呼ばりゃあちゃァんと出る。アンタはどんな席でも何のかんのと理由をつけて来ないか、来ても途中で消えちまう。天地の差だぜ、こりゃあ。人付き合いは公私共々に渡って、というだろうが。
周瑜:ほう、そう思うか。だが、私はそなたの嫌いなその堅苦しい席とやらには毎回出席していて、その度にお前が出席しないと張公に嘆かれているのだ。そなたの公とやらがどこに行ったのか聞いてみたいものだな。
甘寧:けっ、酒は私の方が旨いんだよ。
呂範:付き合い云々はさておいて、本当に酒はいいのかい、公瑾殿? 本当に程公の雷が怖いなら、以前とて過ごすような真似はしなかっただろうに。
周瑜:あの頃は乱痴気騒ぎの責任を押し付ける相手がいましたからね。今では何かしでかせば私が叱られなければならないでしょう。
呂蒙:伯符様は身代わりだったんですか。うわあ。
周瑜:まだ若く軍に慣れていなかった子明を犠牲にするのは心が痛むだろう。
甘寧:心が痛む、ねえ。
呂蒙:じーん。しゅ、周郎っ。俺、周郎の下で働くことができて、本当に嬉しいですっ。(感涙)
呂範:では、経験も積んで将にもなった今の子明は?
周瑜:そろそろ使い時ですね。
呂蒙:やっぱり前言撤回していいですか。
呂範:してもいいが、何も変わらんと思うぞ。
周瑜:呉軍での一人前の証だと思えばいい。喜べ。
呂蒙:そんな形の証なんて欲しくありません。ああ父上母上姉上、俺はこの穢れた世界の中で頑張って生きてますよう。
呂範:だからどうして私は入っていないのかねえ。
呂蒙:義兄上も穢れた世界の主要構成員のくせに、何云ってるんですか。というか、このやり取りって昔もしませんでしたか。
甘寧:なあ、アンタ酒飲むとそんなに暴れるのか?
周瑜:暴れるとは人聞きの悪い。多少羽目を外すだけだ。
呂蒙:ああ、うん、そう、少ぉし羽目外すだけですよね。
呂範:そうだな。女物に着替えるほんの短い間に組み立てた罠で、悪者二名と善良な被害者一名を死の縁にまで追いやったりするだけだな。
周瑜:あれは謀反人三名を天が代わりに誅せよと私に囁いただけです。逆らうなど天地の理に反するでしょう。
呂範:天までそれほど物騒になったとは、世も末だ。
(わいわいと騒ぎながら、一行の手はちゃっかりと卓上に伸びている。周瑜も料理をつついていた手を止め、さも酒を飲んでいるかのように水を一口。その杯を横から甘寧がひったくる)
呂蒙:あっ、興覇!
甘寧:酔い覚ましに一杯貰うぜ。……って、何だこれ、本当にただの水じゃねェか。周郎ならもっとこう、茶とかでも用意させねェのかよ。しかも温ィし。
呂範:そう云ったところは案外杜撰だからねえ、公瑾殿は。
周瑜:文句ばかりならそろそろ杯を返してもらおうか、興覇。
甘寧:へいへい。ついでに壷も冷えた奴に取り替えておいてやるよ。ったく、これじゃあ酔いも消えねェっての。
周瑜:気が利くな。これで他人から杯を奪った非礼は帳消しにしておこう。
甘寧:どうせそんな可愛げのない返事だろうと思ったよ。
(甘寧、水の入った壷を持って一度姿を消し、新たな壷を手に戻ってくる)
甘寧:ほらよ。
周瑜:済まないな。
甘寧:いいってことよ。あ、呂蒙、ちょっといいか。
呂蒙:何だよ急に。周郎、義兄上、失礼します。
周瑜:ああ、わかった。
呂範:行っておいで。迷子になったら大声で自分の名前を叫ぶんだよ。
呂蒙:誰がなるんですか、誰が。
(ぐいぐいと呂蒙を物陰に連れ込む甘寧。まだまだ食べたりなかった呂蒙には、辺りを漂う食欲をそそる香りが空きっ腹に染みる。周瑜はちらりと、呂範は興味深々の様子で二人の背を見送るが、姿が見えなくなると自分たちのことに意識を戻す。それを待ち構えていたように、甘寧がちらりと覗き見)
甘寧:よし、ここまでは上手くいったな。
呂蒙:おい、興覇、何なんだよ。
甘寧:今俺が周郎に渡した壷あっただろう。
呂蒙:ああ、水入りの壷だろ。それがどうかしたのか。
甘寧:あれな、中身は水じゃねェんだ。
呂蒙:は?
甘寧:酒なんだよ、それもとびっきり強いやつ。見た目も匂いも水そっくりだが、一杯飲めばそこらの酒を一壷空けるよりもキちまう代物だ。俺が郷里でヤンチャやってた頃によく飲んでた奴なんだが、まさかこんな場所で振舞うことになろうたァ思いもしなかった。
呂蒙:しなかった、じゃない! 何考えてるんだよお前は!
甘寧:何って、酒乱の美周郎を拝もうかと。
呂蒙:馬鹿か、お前は被害に遭ったことがないからそんなことを考え付くんだ。一度身を持って経験してこい、否が応でも子供の頃からの記憶が一気に脳裏を駆け巡るぞ。
甘寧:それが御免だから、こうして離れた場所から見物しようとしてるんじゃねェか。ちゃんとお前だって回収してきたし、文句ねェだろう。
呂蒙:お前なあ。
甘寧:ごちゃごちゃ云うなよ、もう秒読みに入ってんだぜ。今更止めようったって止められねェよ。それに、さっきの話から察するに、周郎はもう随分と暴れてねェんだろう。内に溜めっ放しじゃあ、身の為にもならねェってもんだ。ここらで一発発散させてやった方がいいんじゃねェか。
呂蒙:そんな殊勝なことを云って、本音はただ見てみたいだけなんだろうが。
甘寧:まあな。
呂蒙:……でも、まあ、お前の云う事も一理ある。ここ暫く、酒で陽気になった周郎なんて見ていないしな。偶には大騒ぎした方がいいかも知れない。
甘寧:あの御仁が陽気になるたァ、大層な冗談だ。陰険面で冷笑しかしねェのによ。
呂蒙:伯符様がご健在の頃は、そうでもなかったんだ。いや、九割五分は今と変わらないけど、何と云うか、こう。二人でいらっしゃる時は、何処か空気が柔らかかった。陰険漫才はあの頃から十八番だったけどな。
甘寧:へえ。ま、そんなことは俺にとっちゃあどうでもいいがな。お、飲むぜ。
(甘寧が促す先では、周瑜と呂範が談笑の最中。周瑜が用意されていた皿の中を突付いていた手を止め、壷に手を伸ばす。柄杓から杯へと流れる透明な液体が、燭の光を孕んで輝く。そうして満たされた杯を、周瑜は口元に運び、一口。白い喉が動いたのが遠目にもわかる。ごくり、と二人が固唾を呑む。この手の緊張は、あの酒宴を髣髴とさせる。)
呂蒙:……。
甘寧:……。
(杯が濡れた唇から離れる。その貌は白く、眉一つ動かない。そのまま平然と会話を続ける様子に、二人は顔を見合わせる)
甘寧:おい、何も反応しねェぞ。
呂蒙:俺に云うなよ。お前こそ本当にちゃんとすり替えたのか? 実は失敗しててただの水です、なんて落ちじゃないだろうな。
甘寧:まさか、そんなわけねェだろ。
(ひそひそと話している間にも、周瑜は一口また一口と飲み進み、遂には飲み干してしまう。相変わらず、欠片も酔った様子はない。また、飲んだものに不審を示す様子もない。そのまま更に一杯注ぎ、また一口。)
甘寧:どうなってんだ、ありゃァ。あんだけ飲めば、弱い奴ならひっくり返ってもおかしくない量のはずだ。笊かよアイツは。
呂蒙:まさか。弱くもないが、強くもないはずだ。前は普通の酒を一壷空けた時点で頬が紅くなってたんだから。
甘寧:だが、そんな気配なんぞ欠片も見えねェぜ。チッ、気に入らねェ。ご丁寧にも壷に見向きすらしねェなんぞ、さては俺が仕掛けたことに気づいてやがるな。
呂蒙:そう思うか?
甘寧:思うね。でなきゃ、あれが酒だってことに気づいてないことになる。流石にそれは有り得ねェだろう。
(その言葉に、形のない不確かな予感が呂蒙の心に浮かぶ。視線の先の周瑜は相変わらず談笑中。宴の最初と変わらないペースで、一口酒を飲み、二口食事を口にする。また一口酒を飲み、二口食事。間に会話を交えて紛らわせている、ごくごく自然に見えて、しかし何処か機械的な動き。その様子と、口にしているものが何かわかった瞬間、冷たいものが呂蒙の背筋を降りる。)
呂蒙:……まさか、そんな。
甘寧:あ? どうした、子明?
呂蒙:興覇、お前、今自分がしたことを誰も云うな。周郎にも、誰にもだ。
甘寧:は? 何云ってんだよお前、周郎はとうに気づいちまってんじゃねェか。
呂蒙:いいから。頼むから、誰にも云わないと約束してくれ。後生だから。
甘寧:訳わかんねェな。別に俺ァ構わねェが、そんなことする意味があんのか。
呂蒙:頼んだぞ、興覇。
甘寧:あ、おい、どこ行くんだよ!
(怪訝な顔の甘寧を置き去りにして、呂蒙は周瑜の元に向かう。きっと違う、きっと違うと心の中で、いつの間にか口で呟きながら、予感に強張り始めた足を動かして進む。呂範が呂蒙に気づき、軽く手を振る。)
呂範:おや、案外お早いお帰りだ。興覇殿はどうしたのかな?
(呂範の問い掛けには答えず、呂蒙は周瑜の前に広がる食卓を見る。体積の減った、湯気といい匂いの立ち上る料理の隣。今正に周瑜が取ろうとしていた杯を奪い取る)
周瑜:子明?
(唖然とする周瑜と呂範を無視し、残っていた液体を一気に飲み干す。途端に喉を灼くそれは、確かに怖ろしく強い酒。咽そうになるが、それを堪えて杯を置く。)
呂範:何をやっているんだ、子明。興覇殿に感化されたか。
呂蒙:周郎、こんな水ばかり飲んでいないで、やっぱりお酒飲みましょうよ。せっかくの宴なんですから。
周瑜:誘いは嬉しいのだが、私は本当に水でいいのだ。子明は気にせずに飲んでいいのだぞ。ほら、楽しんでくるといい。
(苦笑しながら、周瑜は壷から透明な液体を注ぎなおす。それを確かに水と呼んだことに、予感が確信に変わる。強烈な酒がまわったのか、はたまた確信を得たことへの絶望にか、がっくりと膝をつく呂蒙。その顔に、料理の生温かい湯気がかかって、酷く不快。たまねぎのいい香りが鼻腔を擽る)
周瑜:子明、どうした? 酒に酔ったのか?
呂蒙:なんで、なんでそんなこと云うんです、周郎。
呂範:こら、子明。周郎に絡むのは止せ。
(呂範が立ち上がるのが、半分ほど減った料理の湯気越しに見える。頭の中がぐるぐるする。たまねぎのいい匂い。手のつけられていない炒め物からではなく、周瑜の食べている皿から立ち上る匂い。微塵にされていて外見からはわからないが、玉葱の甘味が口いっぱいに広がる料理。そしてその手前に置かれた杯の、水とは名ばかりの強烈な酒。ささやかな嘘が、より巨大で深遠な嘘を暴きだす。)
呂蒙:どうして、どうして。
周瑜:子明?
(見上げた視界に映る周瑜の顔は、昔と変わらずに美しい。周囲のどんちゃん騒ぎも、聞こえる義兄の声も、あの宴の夜と錯覚しそうなほどに酷似している。だが、どれほどあの夜に似ていても、中心を成していた人はおらず、その人を支えていたこの美しい人は、頬を酔いに染めてもいない。あの日とは決定的に違ってしまったものがある。酒が回ってあやふやになる意識の中、周瑜に縋りつく。
あの人が死んでから、周郎は酒に弱くなった。そう云って、あまり人前で飲まなくなった。
あの人が死んでから、周郎は不思議な食べ方をするようになった。目に見える嫌いなものは相変わらず食べないのに、目に見えなければどれほどその味が強くとも構わずに食べた。
それが全て、かつてと変わってしまったことを隠すための演技だとしたら。)
周瑜:おい、子明。
(周瑜の困惑した声が聞こえる。それを耳にしながら、声にならない問いを続ける。
いつから酔えなくなっていたのか。いつから口に入れた物の味もわからないようになってしまったのか。どうして、どうして何も云ってくれなかったのか。
ぐるぐる、ぐるぐる、考えと声にならない悲鳴ばかりが駆け巡る。この悲鳴は誰の悲鳴だろう。
肩に義兄の手のぬくもりを覚える。そこから、必死に立ち直って。)
呂蒙:……済みません、俺。少し、酒を過ごしたみたいです。
呂範:少しじゃないな。ほら、外に出て頭でも冷やして来い。
呂蒙:はい。失礼します。
周瑜:ああ、気をつけろよ。
(背を向けて、歩き出す。気遣わしげな視線を感じるが振り向かない。振り向けない。知ってしまった真実はあまりに彼の人の根幹に立ち入っていて、声に出すこともできない。窓の外に出、視線を感じないことを確かめて、ようやく振り向く。閉ざされかけた扉の向こうの、談笑。義兄と言葉を交わす、白々と美しい顔。馴染み深いはずのその存在が、酷く遠くに感じる。
二人が笑うその光景は、あまりにも過去に似ている。でも。
もう、あの夜には戻れない。
その認識は、当然でいて、あまりにも残酷な現実。)
じぶんのはんぶんがしんでしまったのに、どうしてようことなどできようか。どうしてあじなどわかろうか。
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